Dead Again

 元来、彼は奇妙な事に興味を持つ男で、学校でやらせられる事には殆ど少しも熱心を示さなかった。剣道の時間なども大抵は病気と称して見学し、真面目に面をつけて竹刀を振廻している私達の方を、例の細い眼で嘲笑を浮べながら見ているのだったが、ある日の四時間目、剣道の時間が終って、まだ面も脱らない私のそばへ来て、自分が昨日三越のギャラリイで熱帯の魚を見て来た話をした。大変昂奮した口調でその美しさを説き、是非私にも見に行くように、自分も一緒に、もう一度行くから、というのだ。その日の放課後私達は本町通りの三越に寄った。それは恐らく、日本で最も早い熱帯魚の紹介だったろう。三階の陳列場の囲いの中にはいると、周囲の窓際に、ずっと水槽を並べてあるので、場内は水族館の中のような仄青い薄明りであった。趙は私を先ず、窓際の中央にあった一つの水槽の前に連れて行った。外の空を映して青く透った水の中には、五六本の水草の間を、薄い絹張りの小団扇のような美しい、非常にうすい平べったい魚が二匹静かに泳いでいた。ちょっと鰈を――縦におこして泳がせたような恰好だ。それに、その胴体と殆ど同じ位の大きさの三角帆のような鰭が如何にも見事だ。動く度に色を変える玉虫めいた灰白色の胴には、派手なネクタイの柄のように、赤紫色の太い縞が幾本か鮮かに引かれている。

 飛衛は新入の門人に、まず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、妻の機織台の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。眼とすれすれに機躡が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。厭がる妻を紀昌は叱りつけて、無理に機を織り続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、瞬きせざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する牽挺が睫毛を掠めても、絶えて瞬くことがなくなった。彼はようやく機の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって瞼を突かれても、まばたきをせぬまでになっていた。不意に火の粉が目に飛入ろうとも、目の前に突然灰神楽が立とうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。

 このような人間を、子路は見たことがない。力千鈞の鼎を挙げる勇者を彼は見たことがある。明千里の外を察する智者の話も聞いたことがある。しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡に、しかし実に伸び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀さが全然目立たないほど、過不及無く均衡のとれた豊かさは、子路にとって正しく初めて見る所のものであった。闊達自在、いささかの道学者臭も無いのに子路は驚く。この人は苦労人だなとすぐに子路は感じた。可笑しいことに、子路の誇る武芸や膂力においてさえ孔子の方が上なのである。ただそれを平生用いないだけのことだ。侠者子路はまずこの点で度胆を抜かれた。